息子、吉田佳泰の葬儀ではサッカーを通じて交流のある
幼児から 小中高校生の男女、そして成人まで幅広く縁のある人々が集い
彼を偲び送り出してくださった事、ブログを通じ遠方にも関わらず
連絡を取り合い駆け付けてくださった級友の方々、
全てのかたがたに感謝いたします
34才の短い人生ではありましたが、群馬という第二の故郷で
皆様に助けられ磨かれ
人間として成長し羽ばたく事が出来たのだと思っています
彼の現世での修行は終わり新たな旅立ちの時を
むかえたのだと、私はそう感じました
彼がもし心残りだとするならば、志半ばで・・・
多くの教え子はじめ関係者の期待に応えられない事だろうと思います
いつも全力で一生懸命だった彼を許してやって下さい
そして旅立つ彼に明るい声てエールを送ってやって下さい
お礼も言えずに往ってしまった彼に代わり
人生を有意義なものに輝かしてくれた
多くのサポーターの方々に感謝いたします
ありがとうございます
在りし日のコーチ 「ヨッシー」
さ よ う な ら
TrackBack (0)| by u-ma
TrackBackURL : ボットからトラックバックURLを保護しています
さようなら息子よ・・・
最初はほんの少しの胃がんからはじまり、二度目の癌で胃を全摘・・・
その間にあなたは結婚しましたね、とても素敵なお嬢さんに巡り合えて・・・
二年後に子供を授かり・・・しかも双子・・・
嬉しさは2倍・・4倍・・ううん何十倍も嬉しかったよ
私と違いいつも明るい言葉で一言も愚痴を聞いた事ありませんでした。
どこにでもある普通の結婚式の写真・・・家族が増えて楽しさも数倍に・・・
サッカー選手としてブラジルで勉強したあなたは
人前で話もできないシャイな男の子でしたが
二年の留学生活では明るく表情も豊かに、しっかりお話しもできる青年になり
得るものが大きかった事でしょう
家族を大切にする・・・友人、仲間を大切にする・・・そして分かち合う
そんな事を学び、自分にある物を提供する・・・心の豊かさを学んだんですね
日本でも昔は助け合い、分かち合いが日常でもありましたけどね・・・
ザ・スパ草津ではJ2でしたが選手にもなり全国版のTVにも取り上げられ
放映されたときは家族全員見てました
その後指導員として多くの子供たちや中学生から慕われ、選手とは別の
才能が開花して・・・すべてが幸せに満ち足りていましたね
それでも病魔はいつもあなたを苦しめ・・・三度目の手術・・・
四度目の放射線治療、抗がん剤治療・・
1歳に満たない可愛い双子の息子を残しあなたは逝ってしまいました
頑張ったね・・・多くの友人や関係者が病院に来て・・・涙を流し 友人、仲間、様々な関係者から慕われ
夜遅くまで訪問者が途切れる事なかったよ・・・
私の知らないあなたの事を聞いて・・・
驚く事ばかりでした、お店を任され、サッカーでは多くの小中学生を指導し
仲間からも信頼があり、自分本位のわがままな私と違い
人間的に大きく成長し羽ばたく途中でしたが・・
命の連鎖は双子の息子に受け継がれ・・・家族で応援しましょう
そしてあなたがブラジルで学んだ事を教えてあげましょう
、日本語にこんな言葉があります
友 だ ち の 友 達 は 皆 ト モ ダ チ だ
世界は簡単に平和になりそうです
あ り が と う
【コメント】 名前:元ザスパU15の母です
はじめまして。この度はほんとうにほんとうに残念でなりません。またご冥福を御祈りいたします。我が家はザスパ草津がスクールをはじめたとき、1期生として兄弟で入会させていただきました。吉田コーチいや、ヨッシーが大好きで一緒に合宿につれていってもらったりたくさんの経験をさせていただきました。高校になってからは、試合がみたくなると一番優しくて話しやすいおにいちゃんのようなヨッシーに電話してチケットおねだりしたり、ザスパを離れたこどもたちも定期的にヨッシーには連絡していました。数ヵ月前、息子は電話ででしたが、負けねーよと力強くいっていたヨッシーの声忘れられないといってます。blogにある通り、みんなヨッシーが大好きです。ヨッシーに教えていただいたことをこれからもサッカーにおいて、人生においていかしていきたいと思います。 お父様 お母様ヨッシーを生んでくださりありがとうございました。そして我が家をはじめみんなにヨッシーをあわせてくださりありがとうございました。感謝の気持ちでいっぱいです。 ありがとうございました。 これからもヨッシーはみんなとともにいきつづけているとおもいます。 最後になりましたが、お父様、お母様、ご自愛のほどを、、。
名前:ありがとう
初めてサッカーの楽しさを教えてくれてありがとう!たまたま、お店で出会し、何年も経っているのに、元気に頑張ってますか?あの時、ヨッシーコーチの方が辛かったかもしれないのに。。いつも笑顔のヨッシーコーチ。忘れません。。安らかにお眠り下さい。ありがとうございました!
TrackBack (0)| by u-ma
TrackBackURL : ボットからトラックバックURLを保護しています
5月初め、母が逝きました
出棺の時・・私は・・いってらっしゃいと言葉をかけ送り出しました。
長い間一緒にいたはずなのに、母の容姿を思い出すことが
できないままでどうしてか・・・
小さい頃,大人と子供では目線も違い、また中学頃からは意識が外に向かって
しまうからかなとそんな事を想い・・・
恩人という言葉は自身の成長過程で影響を受け又指導してくれた
関係者に対する言葉と思いますが
それでも一番の恩人は命を与えてくた母ですね
亡くなって初めて親のありがたみがわかるといいますが・・・
全くその通りで、今思えば一番身近で物言わず支えてくれたのは母でした
もっともっとありがとうって言えば良かったとそう思っています
まだ両親あるいは片親でも健在であれば・・・恥ずかしがらずに母の日だけの孝行
ではなく、いつでもありがとうと声をかけてあげてください
きっと自身の心も潤い愛情で満たされる事でしょう
そしたら今度は身近なパートナーそして子供にも・・・(○○ちゃんが生まれてうれしい)
そんな言葉できっと子供の人生は素敵な方向を向くと思います
高齢化社会で痴呆のある父と車椅子生活の母を長い間見てきました
負担に思うこともなかったわけではありませんが
建築に携わる者とし
住まいの有様として病気にならない空間はどうすればいいか
又子供や親子の関係が良くなる平面構成は・・・
などからアプローチして構想をイメージするようにも考えています
命の連鎖・・・ありがとう最愛の母へ・・・
TrackBack (0)| by u-ma
TrackBackURL : ボットからトラックバックURLを保護しています
Copyright (C) 2006-2024 吉田敏一建築研究所. All rights reserved.